「メディア」のこれから「編集」のこれから COTAS前編集長 小林弘人氏インタビュー【前編】
まず、会社の会議室をとにかく出たかった 廣田:こばへんさん、今回COTASの編集長を引き継ぐことになった廣田です。仕事で何度かご一緒させて頂いたことはあるのですが、こうした形でお話を伺うのは初めてなので、少し緊張していますが、よろしくお願いいたします。...
View Articleそもそもメディアは誰のものなのか?編集者が担うものに必要なこと【前編】
「暇な人」の価値 廣田:今日は、若林さんに、「そういえば、メディアってそもそもなんだっけ?」というお話を伺おうと思ってやってきました。メディアという存在が、(まさにスマートフォンの普及などもあり)あまりに身近になりすぎているが故に、そのありがたみや、価値が見えにくくなっているようにも思うんです。...
View Article結局、イノベーションって何から始めればいいの?デザイン思考のプロに聞いてみた
ビジネスには、分野を越えた交じり合いがますます重要になってきている ――正直なところ、イノベーションプロデュースとはなかなか聞き慣れない概念です。イノベーションを自ら仕掛けていくのではなく、プロデュースしていくというのは、いったいどのような役割なのでしょうか?...
View Article「花嫁のカリスマ」は、どうやって生まれたか。 ヘアメイクアップアーティスト二法田サトシ氏インタビュー【前編】
自由競技で美しさを追求したいと思った 山田:ヘアメイクの「未来」を考えていく上で、まずは「これまで」のお話をじっくりお伺いしたいです。 まず、二法田さんがなぜヘアメイクの仕事に携わろうと思われたのか、お聞かせください。 二法田:表現する人になりたかったからです。もともと、何か大きい組織の一部になるというよりも、「自分自身でアウトプットできる人になりたい」という気持ちがありました。...
View Articleリヤカー界のラストサムライ「ムラマツ車輌」は、 いかにして激動の時代をサバイブしたか。
ムラマツ車輌は、リヤカー製造メーカーとして戦後まもない1951年(昭和26年)に創業。現在は山田光男さん(68)が3代目の社長をつとめる。静岡出身の山田さんだが下町暮らしが長いからか、気っ風のいいチャキチャキの江戸っ子のような印象を受ける。...
View Articleプロフェッショナルによるヘアメイクの未来。 「花嫁のカリスマ」ヘアメイクアップアーティスト二法田サトシ氏インタビュー【後編】
「いいね」は、みんなの平均点を超えたところに生まれる 山田:雑誌や広告の仕事に加え、ウェディングのヘアメイクアップアーティストとしての仕事も増えていらっしゃる今。 二法田さんは、どんなものを創りたいと思われていますか? 二法田:最終的に、みんなが「いいね」と思うものを創りたいです。どんなところにいても「いいね」は、何かの平均点を超えたところに生まれるのだと体感したんです。...
View Article人口規模は杉並区 + 世田谷区。小国エストニアがイノベーションを生み出せる理由。
経済通信省の公務員から、日本のクラフトビール輸出を始めるまで — まずはじめに、ラウルさんが日本にいらっしゃるまでの経緯について教えてください。...
View Article福島県エビスサーキットが「ドリフトのメッカ」になるまで
峠の「ローリング族」にチラシを撒きに行った 後藤:そもそも「ドリフト」という競技とかショーはいつから、どういった経緯で始まったのでしょうか? 熊久保:ドリフトはもともとサーキットでは禁止されていました。危険走行と考えられており、レース場でタイヤを滑らせてしまうと、コースが傷んでしまうからです。...
View Article国産スキーメーカー「オガサカ」はなぜ生き残り、どう新しい文化を作っていくのか
マニアックなニーズに応え続けてブランドを上げた 後藤:オガサカスキーは自社工場があるスキーメーカーとしては、いまも残っている数少ない会社ですよね。 小賀坂:昭和から存続しているスキーメーカーは、青森のブルーモリスさん、長野の飯山市にあるスワロースキーさんくらいでしょうか。スワロースキーさんは主に中国の大連の工場で生産しているので、国内で製造して展開しているメーカーは本当に少なくなりました。...
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